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HSP

わたしがじぶんより下だと思ってたから優しかったの?

ちょっと毒を盛った文章を書きます。
この題名どおりの気持ちを少し感じたので・・・
ここで吐き出してみたいと思います。


嫌な方はスルーしてくださいね。

わたしがじぶんより下だと思ってたから優しかったの?

先日、友達から電話がありました。
毎年1回くらいの頻度で会う学生時代からの友人。
ずっと4人で仲良し。

みんなそれぞれ結婚も同じくらいの時期にして
子どもも年齢が近いです。

会うたびに、お互いの環境を伺ったり
話ししたりしていました。

専業主婦の姑さんに仕える嫁世代のわたしたち。

1人はかなり優秀で後の3人はよく似た学力でしたが 
高校が全員違っていたので
その後の進路はそれぞれ。

わたし達の時代はよほどじゃないと
若い時の職場で働き続けることは困難でした。

まだ育休も産前産後6週間だったし(少ないよね・・・マジでひどい話)

姑は嫁をまだお手伝いさんのように扱う世代

社会でも男女高揚均等法なんて出てきましたが ぜんぜんそんなことはなく


「おいコピー」
「おいお茶」と言われてた世代です。


封建的な夫世代は協力なんてほぼゼロ。

それなりに仕事ができたわたしたちですが
当然 家族に合わせてパートについたり転職したりしてきました。

毒親育ちを理解してもらえない

特にわたしはいわゆる婿取りで
他人から見たら

「親と暮らしてるんだからラクしちゃって!」
というようなことを必ず言われます。

何も知らないしあわせな家庭に育った人なんでしょう。

家を継いだ=毒親から離れられなかった 
ということなのに。

わたしの親に関しては詳しくこちらに書いていますので割愛しますが
いわゆる毒親でした。

友達には話してきたつもりだったけど


普通の親から生まれた彼女らは

「親なんだからなにをわがまま言ってるのよ」

と思ってる感じが伝わってきたので 
ある時期から もう親のことは一般的なことしか話さなくなりました。


ことりんご

毒親育ちではない人に話しても意味がない。
理解不能なのだから。



一般的には仕事を持つわたしたちのことを
応援してくれる存在であるはずの親。

その親がわたしの仕事のじゃまをしていた事実は
伝わらなかった。

仕事にコンプレックスを持つわたし


家族の協力は得られず、毒親ならではの
心理的虐待もあって 仕事は続けれませんでした。

いつかは・・と戻れることを夢見ながら
期間限定の仕事や時短パート・アルバイトを渡り歩いてきたわたし。

HSPでマルチポテンシャライト


HSS型HSPであることも理由だと知ったのは最近。
同じことをやってると飽きる。


そしてHSPは繊細でちょっとしたことが きっかけで辛くなる。


これまでの一般的な常識では

同じ職場で続けられない人は堪え性のない人

そうとらえられていました。

ことりんご

わたし自身もそう思っていました。

なんでわたしだけ こうなの?

続けたくても
家庭との両立ができなくて泣く泣く辞めたのですが。



わたしだって 家族の協力があったら 
今頃普通の人のように
同じ職場で勤続数十年の表彰だって受けていたはず。

長くなりすぎたので 次回へ続きます。

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ことりんご
少しのお金で豊かに暮らしませんか。 HSP気質で毒親育ちでも、ミニマリストな生活に出会って 幸せ感が満載になりました。 じぶんらしくハッピーに生きるための情報や50代のミニマリストな生活などを発信しています。